
[更新日:2010年3月 1日]
ショパンの交渉
「だが出版社のマッセに言ってください。もし僕が彼を食い物にしたり、一杯食わせようと思えば、毎年価値のない曲を15曲ぐらい書いて、彼はそれに1曲あたり300フラン払い、大いに復讐の快感を味わおうとすれば出来るのだと。だけれどこれは正直なことではありません。ジュリアン、君は、僕が寡作で出版数も少ないと言っています。したがってマッセはぼくが不当に値段をつり上げていると考えるべきではありません。」
これは、ショパンが友人ジュリアン・フォンターナに楽譜出版社との交渉を依頼している手紙の一節です。
今日はショパンの誕生日とされる日、です。実はショパンの誕生日も複数の説があってはっきりしません。 生まれた場所はジェラゾワ・ボラというポーランドの小さな村ですが、日付も何通りかあり、さらに年号も違う年だった、という説さえあります。ただ、その中で最有力が「1810年3月1日」というもので、この日付をもって「今日が生誕200年ちょうど」の日、ということになります。200年前!
一般の歴史的スケールでいえば、200年前、というのは非常に昔のことに思いますが、ショパンの音楽は今現在聴いても違和感がない、というか現代人の心にもストレートに訴えかける情感を持っています。これはすごいことで、現在つくられている音楽のどれぐらいが200年後にほとんど変わらない形で演奏されて感動することが出来るでしょうか?ショパンは「懐メロ」には決してなりません。そのことこそ、ショパンの天才を証明する何よりの証拠となるでしょう。
ところが、そんなショパンの曲が、手稿譜が複数あることによって、違う音をもった2つ以上の「正しい原典版」が存在してしまうのです。CDなどの録音された演奏家の演奏を聴いてみても、違う音を弾いている同じ曲を発見することが出来ますし、これらはミスではありません。みんな正しいのです。
ショパンは、よく知られているように、ポーランドの出身。故郷で有り余る才能が評価されたために、辺境国ポーランドを出て、ヨーロッパの音楽の中心ウィーンに向かい、そこであまりうまくいかなかったので、フランスのパリに向かいます。そして、パリに向かう途中、祖国をロシアが事実上の支配下に置き、ポーランド人民はすべからくロシアのパスポートを持つべし、ということになったのです。ショパンはそれを拒否し、政治的には「難民」ということになったわけです。現代でも祖国がそんなことになったら心細いでしょう。ましてや、電話やインターネットや、飛行機のない時代です。ショパンの苦しい立場は我々の想像を超えているはずです。
そんな異国でのショパンが頼りにする物といったら、やっぱりお金。マネーが第一、ということになります。ましてやショパンは「病弱なのに夜会とお洒落が好き」といったところがありましたから、医者にせよ、夜遊びにせよ、オシャレにせよ、お金をたくさん必要としていたに違いありません。
パリに来てからのショパンの主な収入源は、結局生徒に対するピアノ・レッスンということになるのですが、彼の本業は作曲です。だから、彼は冒頭の手紙にあるように、楽譜を売らなければならない。もちろん、なるべく高い値段で。
そして、重要なのは、「乙女の祈り」でも触れましたが、国境を跨いで活躍しているショパンにとっては、「外国での海賊版」も防止しなければなりません。海賊版連発で「乙女の祈り」のようにヒット作になるかもしれませんが、それよりは現金収入です。彼は、できが悪いと自分で思った曲は決して外に出す・・つまり出版することをしませんでしたが、(この中にかの「幻想即興曲」が含まれていたりするから驚きです!)自信作は、文字通り自信を持って出版社に売り込んだのです。それも、国境を跨いでフランス以外の外国の会社にも。・・・・そのとき、ほんのちょっと楽譜に手を加えたとしても不思議ではありません。
これが、「異なる音を持つ原典版が複数存在する」理由です。
どうしてこんなことをしたか?もちろん、複数の出版社から出版料をもらいたかったということもありますが、第一の理由は、「その国での海賊版を防止したかった」ということによります。つまり、国内でショパン承認の正規版が流通していれば、粗悪なコピーの海賊版が売り出されにくいのです。人々はやっぱり「お墨付きあり」の楽譜を買いたがるからです。
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本田聖嗣
- 東京藝術大学音楽学部ピアノ科卒。パリ国立高等音楽院ピアノ科・室内楽科を共にプルミエ・プリで卒業。コンサート、レコーディングの他、現在はTBSのクラシック専門ラジオ局“OTTAVA”のプレゼンターとしても活躍。

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